ひとりのおとこの歩き方

ひとりのおとこの人生というものがたり。

葬儀で感じた違和感について考える

Gonです。

 

先日のことだった。

 

私には曾祖母がいたのだが、100歳も目前に迫った99歳でこの世を去った。

その通夜と告別式へ出席するために地元へ戻り、両親や妹、親戚たちと曾祖母との思い出を偲びながら旅立ちを見送った。

  

私は現在、30歳である。つい数年前まで通夜や告別式へは1度しか参列したことがなかった。それも幼い頃の記憶しかなく、父方の祖父が亡くなった時だ。

2年前には父方の祖母が亡くなり、そこでも通夜と葬儀へ参列したが、今回感じたような違和感を覚えなかった。ひょっとすると同じように感じていたかもしれないが、残念ながらその記憶はない。

 

 

司会者

葬儀には必ず司会者がいる。

司会者と言っても会場のスタッフが行うことが多いと思う。彼らも仕事で行っているし、悪気はないことは重々承知しているが、しかし今回はおかしいと感じた。

 

まず、通夜の時の服装に驚かされた。さすがに告別式では喪服を着ていたが、通夜の時には胸ポケットにファスナー(銀色)が付いたスーツを着ていた。時計もカジュアルなもので、メガネも明らかにこの場に相応しくないであろうデザインのものを身に付けていた。

次に、喋る度に口角を釣り上げて、まるでその死を喜ぶかのような表情をするところに妙な違和感を覚えた。葬儀と言えど、ビジネスであることは分かっているから印象を良く思われたいと思うのかもしれない。しかし、社会人であるならばTPOを意識して、その場に相応しい言動をして欲しいと思う。遺族からして、赤の他人でもそんな表情を見せられたらたまったものじゃないというのが本音である。

この言動は、告別式が終わる最後の最後まで続いた。

 

色々調べてみると、葬儀屋さんは深刻な人手不足らしい。その会場でも、常に職員を募集していると私の母も話していた。

私が仕事を選ぶ時、葬儀業界は眼中になかったが、いざ仕事をしてお金を貰う立場からしても、「人の死」と毎日のように面き合い、お金を受け取らなければならない葬儀業界は避けたいと思うのも自然だ。

しかし、人が生きている限り「死」は避けられないのだから無くてはならない仕事であるのは間違いない。そこは感謝しなければならないと思う。

 

人には必ず得意・不得意があると同じように「職業適性」があるはずだ。それは、その職種に対する適性であり、簡単に言えば向いているか、向いていないかという評価である。

正直、私はこの司会者を見て失礼ながら向いていないと思ってしまった。

 

結婚式と違って、葬式はいつ行われるのかは分からない。

時間をかけて念入りな調整もできるわけがなく、簡単な打ち合わせだけで当日済ませることもあるようだ。運が必要だと思った。

 

 

全体を通じて

もう一つ感じた違和感というのは、こちらが招かれているような気持にさせる演出等である。

声を大にして言いたいのは、自分はその故人との最期の別れをしたくて来ている。決して、会場に呼ばれて来ているわけではない。

それにも関わらず、会場側から「本日はお忙しい中、故〇〇▲▲様の通夜(告別式)へご出席賜り、誠にありがとうございます。」とか「お疲れさまでした」と言われるのには違和感があった。まるで会場に呼ばれているかのようで嫌だった。

喪主や親族から言われるのであれば、まだ理解できるが、それを会場に言われる筋合いはないと思う。

決められたナレーション等なので文句は言えないが、うーん、どうなんだろうと思い、葬式にナレーションは必要ないのではないかと思った。 

 

まとめ

今回、葬儀へ参加してみて感じた違和感は幾つもあった。

高齢化も進んでいるため、今後も需要は高まっていくと思う。私の住むところの近くにも多くの葬儀場が軒を連ねている。しかし、何年後かには葬儀場の数も過剰となっていき、淘汰が始まると思う。悲しいことだが、競争がこれから激化していくと感じる。

 

従業員の教育に力を入れ、私達遺族の気持ちを汲み取る力がある人が多く在籍する会場もあると思う。葬儀場はどこも同じではなく、選ばなければならないのだと思わせてくれた出来事だった。